馬部隆弘著「椿井文書―日本最大級の偽文書」と尚江千軒遺跡

 

 少し前から知人のSNSや新聞の書評欄などの影響で、今年中公新書として発刊された馬部隆弘著「椿井文書―日本最大級の偽文書」のことが気になっていたのですが、先日たまたま用事と用事のはざまで時間が空いた際に近くの書店をぶらついていましたら平積みされているのが目に入り、そのままレジに持っていきました。

  実は手に取るまでは知らなかったのですが、本書はなんといっても滋賀に関連するページがとても多く、なかでも私の住んでいる湖北地域がかなり取り上げられており、長浜市余呉町椿坂地区も「椿井」の関係先とのことで大変親近感をもって読まさせていただきました。展開もさすがに話題の本だけあって、購入したまま喫茶店に入ってざっと読ませていただいただけなのですが、優れた探偵小説を読むようでちょっとした興奮を覚えました。

 

 「椿井文書」、壮大な偽史の誕生の要因は複雑ではありますが、まずはいつの時代も紛争の解決策として証拠が重要であり、その証拠を示したいという動機はいつの時代にもあることなのだと実感しました。家系図なんかは特に有名ですが、椿井文書はそのスケールの大きい版と言えるのでしょう。

 椿井文書の作者である椿井政隆はあくまで依頼者の求めに応じて偽作を続けたとのことですが、技術や知識レベルも相当に高く、さらにその体裁が中世の文書を近世に模写したという形式をとっていたため見た目は不自然に新しくても、内容自体は確かなものだと信じるに値したということで、近畿一円に数百点も流通したとのことです。

 しかもたちが悪いのはその偽書が地域や研究者の目をすり抜けて、今もなお信用され、地域おこしなどでも由緒正しき史料として活用されているという点です。まさに、その一例として「筑摩社並七ヶ寺之絵図」、滋賀県米原市朝妻筑摩地区の「尚江千軒遺跡」が取り上げられていました。

 

 尚江千軒遺跡については場所はおおよそ米原市の現在はエクシブ琵琶湖がある、湖岸側の地域ということになりますが、琵琶湖の周辺には他にも地震によって湖底に沈んだ集落があるといわれており、長浜市内にも「西浜千軒」などがこれまで調査されています。いずれも「千軒」とはいいますがあくまで少し盛った、イメージ優先の呼称で、実際には集落規模は千軒はないと思いますが、こうした遺跡について大学などで調査がされていたことは私も承知しています。

 そこで、ついでですので近くの図書館で「尚江千軒遺跡」の本を借りてきてきました。滋賀県立大学の林博通教授(当時)の研究室による調査研究の報告書ですが、湖中の探索調査や古老への聞き取りと併せて、「筑摩社並七ヶ寺之絵図」についても検討が加えられていました。

 結論的に申しますと、「林本」では「筑摩社並七ヶ寺之絵図」については肯定的に取り上げられており、他の現地調査結果も併せて「信憑性が高い」とされていました。

 しかし、「馬部本」ではこの絵図の作成の背景は漁業権を巡る対立が背景にあって、その縄張り争いの中で朝妻筑摩の主張を裏付けるために作成された偽書であると述べられています。そうした視点で見ると、琵琶湖周辺の、いわゆる湖底に沈んだ村というのはすべて漁業権のぶつかり合うところであるように思えてきます。定置網である「エリ」の設置位置なんかとも関連がありそうです。

 私の感想としても、地元の神社にこの絵図があれば、詳細に説明されている歴史を史実として純粋に信じてしまいそうですので、住民への聞き取り調査はほとんど意味はなさないと思われます。お寺に地獄絵図が飾ってあるケースとよく似ていますね。なお「林本」の結論については幾つかの視点から根拠について説明は加えられていますが、実際のところはそもそも結論ありきでは…と思わないではありません。なお、現在ではより精度の高い方法で湖底の調査も可能かと思いますが、改めてその必要はないのかな、と思いました。

 

  ともあれ、境界争いなどの土地相論や、集落間のマウントの取り合いに、各々の主張を正当化するために歴史が引き合いに出され、その根拠を示すために偽の絵図や文書が相当数作成され、それらが今もなお信用されてきたという本書の視点は大変勉強になりました。現在のように国家レベルでの法律や裁判所がなければ「うちの方が正当性がある」「いやうちの方が歴史がある」と争いになることは必定ですが、地域に残る歴史的な資料というものは、そうした性格も踏まえたうえで内容を判断をしていかないとダメなんですね。

 でも、ここまで世間をだましとおしてきた「椿井文書」については、違った意味で作成者である椿井政隆をリスペクトしたい気持ちです。中世では私的に偽造された銭(私鋳銭)であっても偽金として、それなりに通用していたそうですが、椿井文書もそんな感じでしょうか。「かくあってほしい」という人々の願いが生んだ、「偽書界のスーパースター」と言えるでしょう。

 

 

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