「床店(とこみせ)」と「葭簀張(よしずばり)」

 近世から近代にかけての都市空間について勉強しようと思い小林信也著「江戸の民衆世界と近代化」を手に取りました。

 

 本のタイトルどおり、江戸の都市社会を主な分析の対象とした本書ですが、そこで「床店(とこみせ)」と「葭簀張(よしずばり)」が取り上げられていました。主に板を用いて屋根や床をしつらえたものが床店で、葭簀で周りを囲い、日覆などをしたものが葭簀張とのことですが、要は露天商のイメージですね。現代は葭簀張はビニールシートに取って代わられました。

 近世の江戸においては火除地や河岸地等の空き地に上の画像にあるように露店が多く軒を連ねていたそうです。この画像は現代では秋葉原の東、かつて柳原土手通りと称された地域のようですが、賑わっている雰囲気がよく分かります。

 

 こうした「床店葭簀張営業地」(それにしても、すごいネーミングですが…)は明治初年より、東京府による厳しい取り締まりを受けるようになります。明治5年には「床店葭簀張営業幷人力車髪結床」を撤去し、しかるべき所へ移転先を見立て報告するよう通達が出されます。

 更に「往還幷下水上川中等」へ「張出」された、「庇・床店・葭簀張」の撤去が各区を通じて営業者達に命じられます。明治6年には床店の免許制導入、地代の徴収、さらには営業許可区域の指定と官側の管理方式も徐々に整っていきます。

 

 これらの動きについて実際には取締は徹底しなかった、との主張もあるようですが、本書において筆者は規制の背景を地券発行・官民有区分の近代的土地所有権の確立に向けた一連の動きに求め、官有地と民有地との分離を徹底しようとする東京府の方針を重視しています。そうしたことから近世には路上に普通に存在した床店葭簀張営業地は解体し、近世の露店商人は新天地に移っていくのです(その一例として新開町)。

 

 また近世東京の道路の修繕を誰が担ったか、ですが明治4年の「府下道路上下水川堀橋梁規則」において沿道地主の負担で道路整備を行うこととされ(近世の道普請の慣習の引継ぎか)、明治5年には東京会議所が設立され、府下の道路修繕事業を行ったが、資金不足により道路中央の道幅二分の一は東京府が修繕することになる。沿道地主は道路の端、左右四分の一ずつ修繕の負担していたとのこと。「会議所」は今も商工業者による団体がありますが、当時はもっと地域を包括する団体のようで、ちょっと私のイメージと違うようですが、その元となる「町会所」の転換が「川浚」による天保末年までさかのぼれると指摘されています。都市の近代化と空間管理体制の転換、なかなか興味深いテーマですね。

 

 生まれてこの方関西で生活していますので、江戸の歴史や地理について特にそう詳しいわけでもないので登場する地名にもピンとこないところもありますが、近世には町人だけで50万の人口を数えた大都市だけあって、床店葭簀張営業地の規模だけ見ても流石は江戸だと感じました。ただ、地券発行時に果たしてそこまで強権的に規制を行えたかは疑問がありますが…。大津の例などからしてもう少し妥協した部分もかなりあったような気はします。

 なお、こうした本を読むと改めて土地家屋調査士の専門分野である「筆界」の歴史にも興味が湧きます。少し名言風に言えば「筆界とは、時間と空間の交差点である」といったところでしょうか。となると土地家屋調査士はさしずめ「交通整理人」といったところなのでしょうね。

 

 なお、著者の小林信也は歴史講座や古文書教室も主催されているようです(江戸歴史塾)。私も東京に出張した時にタイミングが合えば、是非一度参加してみたいなー、と思いました。 

 

 

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