今も残る近世の都市遺産「背割り排水」「古式水道」を知っていますか

   先日、滋賀県湖北地域のタウン情報誌「長浜みーなvol.133」を何気なく拝読していましたら、「今に生きる近世の都市施設 古式水道と背割水路」と題した章が目に入ってきました。

 現在、滋賀県土地家屋調査士会にて滋賀の地籍に関する資料集を作成しているところなのですが、その資料集に滋賀県近江八幡市の背割り排水について取り上げてみよう、との話が出ていたところでしたので、まさにタイムリーな企画だなあ、と大変興味深く読ませていただきました。

 

 また、先日NHKスペシャル シリーズの「大江戸」を見たのですが、第1集は「世界最大!!サムライが築いた“水の都”」ということで、江戸が徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、世界最多の100万の人口を抱える巨大都市へと成長した、その原動力を水道など都市整備に着目して放映されておりました。

 「江戸は水を駆使して造り上げた、世界に類をみない“水の都”」、たしかに東京は結構高低差がありますから、その土地で水を引くのは並大抵なことではないですよね。そういえば日本土地家屋調査士会連合会会館の最寄駅もJR水道橋駅ですから、それだけ水道は重要な施設だったということでしょう。

 そんなこんなで、ここ最近は自分の中で「背割り排水」と「古式水道」が静かなブーム?でした。

 

 近江八幡の町を建設したのは、かの「殺生関白」として世に知られる豊臣秀次ですが、個人的には彼は決して粗暴な人物ではなく、徐々に残酷さをました豊臣秀吉の横暴性の犠牲者だと思っています。それどころか関白としても十分な活躍していた人物ですので、彼の下には優秀なテクノクラートがたくさん抱えられていたと思います。そのテクノクラートの優秀さを物語る一面がこの背割り排水や古式水道に代表される都市建設にあるのではと思います。また秀吉自身が初の城持ち大名となった長浜や、秀吉政権の中心地である大阪にも背割り排水(太閤下水)が今日も残っていることは何かの御縁でしょう。また、あくまで個人的な想像ですが、秀吉配下の近江衆の多くが琵琶湖周辺の低湿地の開発や排水事業に関わった経験があって、都市建設に生かされているからなのかもしれませんね。

 

 また古式水道も長浜みーなでも言及されていました。長浜の古式水道に関しては、かつて机を並べて学んだ、当時滋賀県立大学大学院に在籍中だったY君が修士論文のテーマとして取り上げようとしていたことが今も記憶に残っています。長浜の古式水道についてはY君の研究によって初めて知ったのですが、水道料金が低廉なことから意外としぶとく?今日まで利用されているようですね。水道料金は使用量に応じて下水道の料金にも反映されますから、下水道と切り離された古式水道は意外と重宝されているようです。私の住んでいる地域でも井戸水が現在もそれなりに活躍しているのと似たような条件ですね。

 

 

 上は長浜市朝日町に残る背割り排水の現状です。鉄板の敷かれた水路の両脇には、土地家屋調査士にとってなじみ深い、金属プレートの境界標が設置されています。水路の幅員は約二尺(60cm)、場所は、長浜図書館の少し南、十一川の北縁です。長浜市内にも、こうしてちゃんと背割り排水が生きているのですね。

 

 

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