「江戸・明治の古地図からみた町と村」(筆界と土地利用界)を読む

『日本の歴史 私の最終講義「江戸・明治の古地図からみた町と村」』P234より

 『日本の歴史 私の最終講義「江戸・明治の古地図からみた町と村」』金田章裕著 敬文舎 を拝読しましたので簡単に感想を述べさせていただきます。

 著者の金田章裕先生は地理学、特に歴史地理の分野で斯学の権威ともいうべき先生で、長く京都大学を中心に教鞭をとられ、著作も数多ある先生です。今回取り上げた著作は「最終講義」と銘打っておられることから、これまでも先生の業績をベースにして、初心者向けに比較的わかり易く、かつコンパクトにまとめられたのが本書の基本的な性格であろうかと思います。

 

 今回本書を取り上げさせていただきましたのは、第七章「大縮尺の古地図と研究」の中の小項目「筆界と土地利用界」のところが、土地家屋調査士目線でどうしても気になったのがきっかけです。古地図や地籍図を解説した書籍や論文においても、「筆界」について言及してあるものは実際少ないです。地理学者からみれば、(土地家屋調査士からみれば)大まかな空間の把握ができればよいのであって、一筆単位というのはやや細かすぎで扱いづらいというのが本音なのでしょう。しかし、土地家屋調査士にとってみれば一筆単位、ケースによってはもっとミクロなスケールでの部分的な線の湾曲や隣接との交わり具合が「命」であって、そこが同床異夢といいますか、「地籍図」という同じ資料をみていても学者さんと、実務家である土地家屋調査士とが噛み合わない部分です。

 

 ですが、本書ではその筆界についても言及していただいています。事例としては愛知県海東郡遠島村の地籍図に描かれた島畑を挙げられています。島畑といえば琵琶湖の沿岸域にある集落でも数多くみられる土地利用形態で、低湿地を上手に活用するべく、田と畑を隣り合わせて整地するという、長年の経験によって導き出された知恵ともいうべきものです。

 ここでは、愛知県海東郡秋竹村の地籍図(ともに明治17年作製)と比較し、島畑を巡って筆界が引かれたかどうかを検討されておられました。

 結果、遠島村では島畑を独立した地筆とし、一方は田の一部に土地利用界で示している、ということであり、同一事象を別の形で表現していることになる、と解説されています。

 他に佐賀県神崎郡の事例も挙げられつつ、そのまま本文から引用させていただきますが「筆界が地籍図によってまったく異なった基準で設定され、土地利用界などのそれの補助的な線がしばしば用いられていることに留意しておかねばならない。このような基準の差は、筆界を土地所有単位を優先して設定する場合と、土地利用単位を優先して設定する場合との間に起こりやすい。」と結論づけられています。

 

 個人的なこれまでの業務経験においても、この筆界線は果たして土地所有単位なのか、土地利用単位なのか、ちらっと頭をよぎったことがあります。現在の不動産登記法の考え方においては、土地利用単位(地目)で筆がわかれている訳ですが、明治初期の当時、どこまでその発想があったかはわかりません。こうした地籍図作製を巡る往時の慣習等は他にもいっぱいありますので、どうしても地籍図自体が不正確で、あてにならないもの、といったイメージが先行しがちです。

 しかし、本書でも古地図や地籍図のことを「空間表現の言語」と言い表しておられますが、地籍図を一つづつ、丁寧に薄皮を剥いでいけば、当時の状況を雄弁に語りだしてくれるのかもしれません。私としては大縮尺地図とは、地籍図のように一筆毎の表現があってこそのものだと思います。そこに実務家である土地家屋調査士のみならず、大学などの研究者も光をあててこそ、大縮尺地図の本来もつ魅力やポテンシャルが引き出せるものであると思っていますが、本書はそのことを改めて思い起こすものになりました。

 

 なお、本書は村絵図や城下絵図など古地図全般についての解説も豊富で、地域的には彦根城下など滋賀県の事例も数多く収録されており、滋賀県民としても興味をもてる内容となっております。是非ご一読ください。

 

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