「小堀遠州と小室藩~大名小堀家の軌跡~」に行ってきました

 今日は悪天候でしたが、といいますか悪天候ゆえに、少し空いた時間ができましたので長浜市長浜城歴史博物館主催の企画展「小堀遠州と小室藩~大名小堀家の軌跡~」を見学してきました

 同館の案内には以下のように書かれています

 

 

 今年は遠州が没してから370年目にあたり、また、10月7日(土)-9日(月・祝)には「第51回遠州流茶道全国大会」が長浜で開催されます。

 これにあわせ、企画展「小堀遠州と小室藩~大名小堀家の軌跡~」を開催します。「文化人」遠州の姿に加えて、彼の大名としての功績や遠州が築きあげ現在の長浜市小室町にかつて陣屋(政庁)を置いた「小室藩」について紹介します。

 本展を通じて、遠州を生んだ小堀家と小室藩の歴史、大名・文化人といった遠州のさまざまな側面を知っていただき、その魅力を感じていただけると幸いです。 

                                  (長浜城歴史博物館HPより)

 

 のっけからケチをつけるようで恐縮ですが、天明期にお取り潰しになった大名、小堀家をさして「小堀藩」はないだろう…と一人突っ込みを入れたくなる気持ちではありましたが、小堀遠州が郷土の生んだ偉人であることには異論のはさみようもありません さらに、長浜市小室地区は私の祖母の出身地で、私も幼いことから何度も足を運んでおり、とりわけ思い入れのある地域でもあります

 

 興味深い展示も数多くありましたが、やはり地図関係に目が行きました 一つは「小室藩家臣屋敷絵図」です 現在の小室地区と比較しますと、現在ある集落はもともと城下町として一定整理した地区の一部であると思われます 方形上の町割りや、直線的な道路形態がその証拠でしょう もちろん、わたしの祖母の実家も家臣屋敷の南側に属する町人地?の内にあります

 ではその図にある家臣屋敷の跡地はというと、小堀家が取り潰されたのちは陣屋跡もろとも農地になってしまったのでしょうね 武家屋敷の跡地に町人や農民が家を建てなかった事例は他の地域でも多く見られますが、ちょっと遠慮している風が、日本的といいますが、いじらしい気はします 

現在でも家臣屋敷跡地に登ると段丘上に高台になっており、木尾地区や八島地区などの水田がよく見渡せます そこが小堀遠州が小室に陣屋を置いた一番の理由かもしれませんね

 

 もう一つの展示が「浅井郡醍醐・北野郷・東野三箇所村立会絵図」です 元禄9年の作だそうですが、「京八郎衛門画」とありますから、恐らく京都の絵師の手によるものでしょう 絵図自体、大変きれいなままで保存状態も素晴らしいと感じました

 この浅井郡内の「醍醐・北野郷・東野」三箇村ですが、現在もそのまま大字として存続しています(北野郷はもしかして現在の長浜市北野町とは位置的に違うような気はしますが) 本図は大まかに言えば、その三つの村落の境界を定めた図面だといえます ただややこしいのはその三つの集落はそれぞれ領主が小室、彦根、京都町奉行(公儀)と別れていたということです 単なる村界ではなく、大名家間の問題でもあったわけですね 一番の奥山の箇所を「立会山」に指定して、境界はあえて決めなかったようです 問題を棚上げしておくというのも当時の知恵なのでしょう

 

下に会場内にて配布されていました展示資料目録を上げさせていただきます↓             どうぞ長浜城博物館までお越しください!

 

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