登記簿における「何番屋敷」表記について

 このところ地域がらか、季節がらなのかはわかりませんが、相続がらみの案件をご紹介いただくケースが増えております。

 また、直接的に相続の手続きを、というより「未登記建物があるので表題登記をして下さい」とか「増築登記が反映されていないので表題部変更登記をして下さい」といった相続に付随する土地家屋調査士業務の手続きのご依頼が中心となっています。

 特にそうした一連のお手続きの中で、建物滅失登記のご依頼をいただくケースが最も多いです。相続物件の調査の過程で、ご家族の知らない方の名義の建物が出てきたり、何代も前のご先祖の名義の建物の登記だけが残っていた、というような事案が結構あります。実は今日お引き受けしたご依頼の二件とも、同じようなケースでした。

 

 そうした古い建物の登記手続きをする中で必ずと言ってもいいほど出てくるのが登記簿上の所有者の住所地を「〇〇村大字××何番屋敷」と表記した事案です。なんだかんだで二回に一回以上の割合でみる感じですね。

 御存じない方は現在の住所番地と混同されるかと思いますが、これとは全く別物です。かといって住所地の土地の地番でもありません。もちろん都会?の住居表示番号でもありません。私も開業初期の実務経験が浅かた当時は「なんでこんな住所表記があるんだろう…?」と疑問に思っていました。しかも、番屋敷について解説した書籍なども管見ながら見当たりませんでした。

 

 数年前に、前に当ブログでもご紹介させていただいた「冨田今昔物語」に「番屋敷」について少し解説が書かれています。そこでは村内のイエの整理番号と考えれば理解がしやすい、とあります。つまり、一番から始まって、家の並び順に二番、三番とつけていくわけですね。地番ですと急に番号が飛んだりもしますが、なるほど、「番屋敷」表示ならそうした弊害はなくなります。

 

 しかし、この冨田今昔物語にも明治末頃には「番屋敷」は使われなくなった、とあります。私の登記実務経験上から感じるところでも、おおよそ、そういう区切りで理解しています。(今日のご依頼いただいた案件は一つは明治期の所有権保存登記ですが、もう一つは大正二年の建物売買の際に番屋敷を使用していました。大正期の番屋敷使用は珍しいと思いました)

 番屋敷表示が使われなくなった理由は一つではないとは思いますが、一つはそれまでの人の動きの制限された封建社会が資本主義社会に移行し不動産取引が活発化したこと、明治期以降の急激な人口増加の過程でイエが増え、逆に「番屋敷」を使用する社会的な弊害が目立ってきたからでは、と推測しています。

 現在ではかつての私のように番屋敷についてまったく知識のない方がほとんどでしょうし、現在では古い地図や資料をみても「何番屋敷のお宅はここだ」と特定できるわけでもありません。地域の古老に聞いてもまずわからないでしょうね。なにせ、明治期のお話ですので…。

 

 ただ厄介なことに先日同じような建物滅失登記業務をさせていただいた米原市内のとある地区の、とあるお宅では番屋敷の番号を、現在も未だに住所地番として使用しておられました。番屋敷から現在の地番へと変更するタイミングをどこかで逃されてしまったのでしょうか…。

 たしかに変更のタイミングを逃すと役所や銀行、職場や学校などの手続きはいろいろと面倒ではあると思います。なお、そのお宅の住所は隣地の住所地番と一ケタ違っていましたし、集落内には番屋敷と同じ番号の地番もあり、その地番を使用している住民も他におられるようでしたので最初は理由もわからず戸惑いました。もっとも、このお宅について言えば実質的にお宅が途絶えてしまいましたので(相続人の関係で)、番屋敷表示も解消されてしまったのですが…。

 

 もし、この番屋敷について詳しく解説がなされた本や研究があれば是非読んでみたい、勉強したいと思っています。お心当たりの方はお気軽にご紹介いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

 

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