「ブラタモリ」から地割について考える

 NHKの人気番組「ブラタモリ」。ご存知の方も多いかと思います。私も毎週楽しみに拝見させていただいております。訪問先の景観の素晴らしさや専門家の方々の解説もさることながら、タモリさんの博識に感心したりして、とっても地理的関心がくすぐられる、素晴らしい番組ですよね。

 

 今回の放送では京都・祇園をブラブラされていました。祇園の町並みや茶屋との関係、八坂神社や鴨川の開発の歴史、さらには四条通りに市電をつくった際の拡幅にまつわるエトセトラと今回も何時にもまして興味深い内容だなあと思い、自宅でくつろぎながら拝聴していました。 

 そうしますと、ここからはNHKのブラタモリのサイトから引用しますが、「さらに四条通の北側へ。今は飲み屋街が広がる場所にひっそりと残るギザギザの町割り。これが江戸時代の花街発展の痕跡って・・・」ということでギザギザの通り(地割)がテレビに映し出されました。少しうろ覚えですが、このギザギザの通りは東西双方から開発が進んだ際に、東側は元が境内地で一筆であったため直線の通りができたが、西側は不整形の土地であったためギザギザの通りになった、と番組では解説がありました。あとで番組のサイトでも確認しましたが、現場は京都市東山区末吉町界隈のようですね(上記画像参照)。

 

 ちなみに、こうしたギザギザの通り(地割)は別に珍しいわけではありません。城下町を省いても、滋賀県内でいえば大津や守山の街道沿いでも見られますし、岐阜県の中山道沿いの通りでも地籍図等でも確認しています。なお、守山市史ではこうした通りを「稲妻型」と命名されていました。

 また京都市内でも上京区を中心に何箇所かこうしたギザギザの通りがあることは確認しています。しかし、いずれも通りの両側がギザギザが基本で、片側というのはたしかに珍しいですね。

 

 で、今回のギザギザの通り(地割)が何故できたのか、という点ですが番組での解説は少々根拠が薄かったように思います。東西それぞれからの開発の経緯があったにせよ、西側のみがギザギザになった理由としては弱いと思いました。

 

 個人的には、そもそも近代以前においては通りを整備する際、都市の骨格となるメインの通り以外はそれほど直線に拘っていなかったのではないかと推測します。今日と違って自動車もないわけですから、途中で道が少々細くなっても引き返さずに、何とかなりますしね。あらゆる道路を直線・平行にしたのは近代以降の産物なのではないでしょうか。 

 あと今回の祇園・京都市東山区末吉町の件はちょうど町界(町と町との境界)にあたります。町ごとの共同体規制の強い京都においては行政(町奉行)より、共同体によって町並みが形成され、保たれてきたと言われています。今回のケースは通りの東西で、それぞれの町の考え方、そして共同体としての縛りのきつさ、ゆるさの違いが出た、というのが一番の根拠ではないかと私は思いましたが、いかがでしょうか?

 

 もちろん、ブラタモリのように全国放送、しかもゴールデンタイムの人気番組で、あまり詳細に説明を加えることは困難なことと思いますので、本当は番組で触れた以外のお話もあるのだと思います。それよりもこんなマイナーな点にスポットをあてていただいて、番組的に(視聴率的に)本当によかったのだろうか、実際の視聴者の反応はどうだったのだろう…と逆に心配になりました。

 

 そしておそらくですが、全国にこうしたギザギザ通りのような事例は沢山あるのでしょうね~ 普段、日陰の身?の存在である土地家屋調査士にとっては、社会的にも注目していただけるおいしい研究テーマだと思います 各地で是非、事例調査をしていただければ、、、と感じた次第です。

 

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