山間部における地籍(図)についての一考察

 念のため、滋賀県長浜市内のとある一地区としておきますが、上記のような公図群が残る地域での土地家屋調査士業務を受託しております

これは、いわゆる山間部の公図(地籍図)ですが、明らかに不自然なまでの直線が目につきます

 葉型、鍵盤型とでも表現したらいいのでしょうか…、ただ少なくとも滋賀県湖北地域では珍しくない形状の土地です 

 

 どうして山間部の土地境界や地籍図がこうした直線的な形状を有しているかについては一つのヒントがあります

 2015年に滋賀県県政史料室にて「山林の明治維新―保護と乱伐の19世紀―」と題した企画展示が行われましたが、そこで明治14年における滋賀県令発の「共有森林分配の告諭」が資料として解説されていました 以下は県政資料室の作成された解説文です

 

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「共有森林分配の告諭」 明治14年(1881)1月18日

滋賀県独自の取り組みとしては、県令籠手田安定が、共有森林をなるべく細かく分割配当(≠私有)するよう促した本告諭が注目されます。共有森林は個人が保持するものではないため、たとえ所有者に森林保護の考えを持つものがいても、全員の意見が合わなければ守られません。当時の森林所有者たちは各々競って樹木を伐採し、将来の利害を顧みなかったようです。そこで籠手田は、家ごとに利用範囲を割り当て(割山)、乱伐を防止しようと試みたのです。【明い233(3)】

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 つまり、江戸時代の厳しい山林保護政策が明治維新により弛緩したことに起因する、民衆による山林の乱伐防止のためにわざと直線の境界をつくり、あえてわざと境界をわかりづらくした(この辺のニュアンスは微妙ですが)ということだと思います

 

 明治12年に地租改正作業は終結していますのでその時期は微妙なところですが、すでに県からはこうした細かい地割にすべきだ、といったような行政指導が先行して存在し、それをこの告諭にてより明確にしたのかもしれませんね

 

 全国の土地家屋調査士会では「境界紛争ゼロ宣言」ということで境界を明確にしましょう、と提案しているわけですが、あえて境界をわかりづらくすることによって山林を守るという発想が、公図にも残る形で現代にも引き継がれているものと私は考えています

 先人の知恵は素晴らしい、といいたいところですが今日では過疎化・木材価格の下落等により山間部の土地所有者が不明になるなどといった明治期とは性格の違った問題が起こっています 今こそ山林を守る新たなる「知恵」が必要な時期だということでしょう

 またそれとともに、土地家屋調査士法25条2項の精神を汲んで、土地家屋調査士として地域の境界に関する慣習についての研鑽の重要性を感じた次第です

 

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