いつも調査で大変お世話になっております滋賀県政史料室にて企画展示が開催されています
毎回とても楽しみな企画が多いのですが、今回のテーマは「近江米の挑戦」
そこで解説文書に目を通していましたら気になる一文が…
以下に引用させていただきます
(近江米は)江戸時代には京都の御備米と呼ばれ、大都市京都の胃袋を支えました。しかし明治8年(1875年)の地租改正を契機として、その名声は地に落ちることになります。租税が全て金納になったことから、米質の規制が弛緩し、小粒で粗悪な米が広がっていったのです。滋賀県産の米は「江州の掃き寄せ米」と酷評されるようになり、県内関係者はその汚名を払拭するため大いに苦心しました
なんだか逆に金納になったので市場で高く売るために米の品質が向上したような気がしていましたが、そうではないのですね
そんな経緯があったとは、少し意外な気がしました
それだけ年貢米については納入時のお上の品質のチェックが厳しかったということかもしれないですが、歴史のリアルな一側面を見たような気がします